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読書とギターとブログと |2008年08月
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読書

うつつ・うつらうつつ・うつら
(2007/05)
赤染 晶子

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赤染晶子の文学界新人賞受賞作「初子さん」を納めた本。
 
 読んでいてまず思ったのは、とても特徴的な文体。純文学にありがちな、読点を多用した一文が長い形式をとらず、むしろ、頻繁に句点で区切る。個人的に好きなタイプということもあるが、こうしたリズム感ある文章は読んでいてとても心地よい。

 内容もなかなか面白い。清濁が入り混じったどろりとした中に生きる初子さん。
 初子さんは賢くはない。初子さんは洋裁をして生きている。初子さんは裕福ではない。
 そんな初子さんをとりまく、周りの人々。 みな、見栄え良く生きようとするが、その裏には貧しさがのっぺりと張り付いている。その間で不安定に揺れている人々を書くのがとても上手い。そしてそんな生臭い世界の中に、ふと、挿入される、純粋な、白痴と言って良い、やいちゃんの美しさがよりいっそう際立ってくる。非常に面白かった。

 表題作「うつつ・うつら」は、「初子さん」より分かりにくい作品と言えるだろう。場末の劇場での売れない芸人達の話、と言えばそれまでだが、そのなかに巧みに言葉についてのテーマを織り込んでいる。
 聞こえてくる声はもはや意味を成さず音となり、音は再構成されてコトバとなる。そんなコトバの不安定さや、夢か現実かどちらともつかぬまどろみの中でたゆたう様が見事に表現されていて、それを支えるリズム感あふれる文体は、もはや恍惚。もはやお経。涅槃。なんまんだぶ

 この本は良い本である。だが、僕はそれだけではない、それだけではとどまらない「凄み」に似たものを、僕はこの作品から感じたのである。
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読書

飛ぶ教室 (光文社古典新訳文庫)飛ぶ教室 (光文社古典新訳文庫)
(2006/09/07)
ケストナー

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ケストナーの不朽の名作。
意外にも読んだことがなくて、ふと図書館で見つけたので借りてみた。

題名からしてSF風味かな、と思っていたのだが、「飛ぶ教室」とは作中での劇の題名で、内容は少年達の学校生活のお話。涙が出そうになった

 今に満足しているし、中高の時代はかけがえのないもので、やり直したいとは思わないけれども

 もし

 幼い頃にこの本に出会っていたら

 僕は もう少しだけ

 もっとすばらしい、中高の時代を送っていたかもしれない

 そう 思った

読書

透明惑星危機一髪 (1970年) (ハヤカワSF文庫)透明惑星危機一髪 (1970年) (ハヤカワSF文庫)
(1970)
エドモンド・ハミルトン

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我らがキャプテン・フューチャー第三弾。
今回はウル・クオルンとついに決着がつく編

うん。面白かった

読書

家族シネマ (講談社文庫)家族シネマ (講談社文庫)
(1999/09)
柳 美里

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柳美里の芥川賞作。家族が妹の頼みで家族役として映画に出演する話。
 
 家族はみなバラバラで、今にも瓦解しそうなほどなのに無理して家族を演じていく姿は、滑稽を通り越して悲壮感すら漂う。テーマとしては非常に分かりやすいけども、意外と思いつかないストレートさ。タイトルでやられたー、と思った。
 
 興味を持ったのは、映画撮影の間に挿入される、主人公の仕事の話で、主人公の女性は仕事のためデザイナーの家に行き、そこでデザイナーに尻の写真を撮らせてくれと頼まれる。
 こ私の仕事のくだりは、いらないような、いるような。ただ、映画撮影だけではつまらないのは分かるので、何かしら僕でも同じように挿入するだろうが、仕事と、老デザイナーとの不思議な暮らしや、意図的と思われる「黒い」猫や犬の登場の意味が、僕には分からなかった。尻って何だ?

 分からないんだけど、これらが無かったら、それはなんだか物足りないのは分かるのだ。うーん。難しい。

読書

ユーモレスク (ちくま文庫 な 36-1)ユーモレスク (ちくま文庫 な 36-1)
(2007/07)
長野 まゆみ

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 長野まゆみの小説。長野まゆみで有名な作品と言えば、「少年アリス」あたりか。よく試験問題などにも使われるので、目にしたことがある人は、実は多いかもしれない。

 昔、行方不明になった弟。隣家の長女の死と、長男。弟とその長男を結ぶ少年。そして私。
 これらの人々が絡まりあいながら、ゆっくりと、静かに時間が流れていく小説。淡々とした文体で、クリスタルガラスのような美しさすら感じられる一方、同性愛などが作品の底に横たわっており、なんだか、少女マンガみたいだなぁ、と思ってしまった。

 最後まで読んでも、弟の死の理由は明記されない。いや、本当に死んでいるのかも分からないままだ。だがしかし。ゆっくりと、登場人物たちの時間は、動き始める。モノクロからカラーになったように、ふっ、と視界が開ける。そんな印象を僕は最後に受けた。

 長野まゆみはクセの強い作品が多いが、これは万人にも受けやすい作品。

読書

太陽系七つの秘宝 (ハヤカワ文庫 SF―キャプテン・フューチャー (54))太陽系七つの秘宝 (ハヤカワ文庫 SF―キャプテン・フューチャー (54))
(1972/03)
エドモンド・ハミルトン野田 昌宏

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 キャプテン・フューチャーシリーズ第二弾。
 カーティスのライバルとなる、ウル・クオルンが初登場の回。

 いつものように、手堅く面白いので、特に言うことはなし

読書

バスジャックバスジャック
(2005/11/26)
三崎 亜記

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 三崎亜紀は、すごい。彼女がすばる文学賞を受賞した作品「となり町戦争」で、僕は完全にヤラレテしまった。

 そんな彼女の短編集。

 SFか、純文学か。とりあえず、出版元はハヤカワではない、というくらいの分類しか出来ないが、小松左京のような不思議なSFに近い不条理短編が並んでいる。
 そうか、今、書いて思ったが、三崎亜紀は小松左京に似ているのだ。彼女の作品にはなぜか死のイメージがよく付きまとう。人の死ぬ描写なんかはほとんどなくて、むしろバトルロワイヤルなんかの方がよっぽど人を殺しているのだが、あれは作者の頭の中が恐ろしくなっただけで、三崎さんの作品からはもっと生々しい、死臭が漂ってくる。
 そこが小松左京と重なるのだ。

 作中の短編に「送りの夏」という作品がある。
 若草荘に住む人々は、死者を模したマネキンと暮らしている。彼らはマネキンをまるで生きているかのように大切に扱う。狂っているのではなく、分かっている。死者はもういないことを。しかし、その納得、が出来ていないのだ。
 老婆のマネキンはいつも長い服を着せられている。それはお爺さんが冷たい皮膚を触りたくないからだ。そんなちょっとした描写に、僕は背筋をぞっ、とさせられる。だが、同時に狂おしいほどの愛情も感じさせられるのだ。

 三崎亜紀は死を描く。死をちゃんと描くからこそ、生が生きてくる。こういう本が100円で売られているのだから出版界が不況になるのも仕方が無い。

読書

いちげんさんいちげんさん
(1996/12)
デビット ゾペティ

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ゾペティは外国人である。そして日本で日本語でこの小説を書き、すばる文学賞を受賞した。
 こういう、外国人が母語ではない言語で小説を書く、という行為は最近だいぶと広まってきた気がする。リービ英雄もそうだし、こないだ芥川賞を受賞したヤンイーもまさにそうだ。

 強いて言えば、堅さがあるのかもしれない。けれど、それはこの作者が外人である、という先入観によってそう思わされてしまっているのかもしれない、という程度のモノであり、なんら読んでいて支障は感じなかったし、下手な日本人の文章よりもよほど上手いと思った。そう、上手いのだ。

 こういう文章を見ると、僕はなんだか恥ずかしさを覚えてしまう。僕はどれだけ日本語について知っていて、どれだけ日本語を扱うことができるのだろう。ほら、こんなにも僕は言葉について、何も、知らない。

 外国人と異国でのズレ。そして盲目なために、外国人であることを意識しなくてすむ彼女。色々と作りこんであって面白く読めたのだが、唯一、最後が残念だった。
 日本に見切りをつけ、彼女を捨て、旅立とうとする主人公の行動は、どうしても短絡的と思ってしまった。急にリアリティがなくなり、安っぽくなってしまった。とても残念である。

徹底抗戦!文士の森徹底抗戦!文士の森
(2005/06/21)
笙野 頼子

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 この本、読んだ、って言っていいのかなぁ。正直ちゃんと読んでなくて、流し読みと言うかまるで絵画みたいに眺め読みしたとでも言うか。でもまぁ、いちおう最後のページまでめくったし、背表紙を閉じたからまぁ読んだことにしよう。読んだ読んだ

 純文学ともSFとも取れる作家で、無類の喧嘩好きの作家、笙野頼子の本。小説ではなく、色んな人に喧嘩を売っては弾圧され、群像を追い出されたりした話をつらつらと長くもまあ書き綴ってある本。こんなもん、よく書籍化できたな。
 作中では、そこまでやらんでも、と思うほどに彼女は様々な人に喧嘩を吹っかける。大塚さんやら柄谷さんまで。見ていて、なるほど、と思えば、言い過ぎではないかい、と思うこともある。
 人によっては、こんな愚痴や批判本なんぞ読ませるな、と怒る人がいるかもしれない。

 けど、僕は、いいじゃん、って思う。

 最近の小説界ははたから見ていてとてもあったかい、というかヌルイ。毎月の創作合評も作者を傷つけないように書いてあるし、どこにも個人攻撃の文なんて見当たらない。それはそれで不快感をあたえずに良いんだけど、なんだか、僕にはナニクソって意気が感じられないのだ。
 それもアリだよね、という感じで上手いこと避け、オンリーワンとかのたまって胡坐をかいている気がする。ちがう。どこだってナンバーワンにならなければならない。
 いやしくも、僕を含めた大勢の人の憧れる、プロ、なのだから

 だから、もっと作家は互いに批判し喧嘩すればいいと思う。そして、ボクサーはグローブをはめてリングで戦うように、作家はペンを持って紙の上で戦えば良い。

 そうした意味で、僕はこの本を評価する。でも、ちゃんとは読んでません。ごめんなさい

 

読書

田園交響楽 (1952年) (新潮文庫〈第337〉)田園交響楽 (1952年) (新潮文庫〈第337〉)
(1952)
ジイド

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盲目の少女と、牧師の話。盲目で白痴の少女に、目に見える世界のことや様々な知識のことを語り、教える牧師の姿は、ヘレンケラーに付いたサリバン先生を思い出させるが、そんな安直なイイ話で終わらせないのがジイドの偉いところ。

 少女を教育するごとに、自分の中に沸き起こる父性愛を超えた愛情。息子の少女への思いや、牧師の移り気を女のカンで見抜きつつある妻。何より、この作品の非常に良く出来ているところは、プロテスタントとカトリックの二つの宗教観が根底に横たわっていることだ。
 
 白痴はよく小説のテーマになる。ドストエフスキーもそうだし、坂口安吾もそうだ。
 白痴は美しいといわれる。何も知らぬその心は穢れを知らず、愛は打算にまみれていない。そんな姿はまさにキリスト教的な愛の姿なのかもしれない。

 少女は知識を得るごとに、理知的に聡明になり、より魅力的になっていく。だが、同時に自分が牧師をひきつけてしまうこと。自分も牧師にひきつけられること。そしてそれが牧師の妻を傷つけ、息子を傷つけることを知り、感じ取り、理解してしまう。知とは残酷だ。

 様々な要素が入り混じり、牧師や妻の生々しさなど、非常に見事だった。個人的にはジイドの代表作である「狭き門」よりも好感が持てた。

読書

ニッポンの小説―百年の孤独ニッポンの小説―百年の孤独
(2007/01)
高橋 源一郎

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 先に言っておこう。この本は、名著である。名作である。傑作である。感嘆符。

 みんな、買おう

 この本を読むのは実は2度目だ。一度目は出てすぐに図書館で借りようとしたのだけれど、どこも借りられてて、まわりの図書館を駆けずり回って予約して借りて読んでいやぁこれはすごいと感動感激して、これは買わにゃなるまいと思ってでも高くて放置してやっと余裕が出来て買った、と
 で、2回目
   1回目より、読むのに時間がかかってしまった。

 この本は、ブンガクについて書かれた本である。でも、ブンガクって何か。コトバって何か。散文と詩はどう違うのか。ブンガクって暗いんだけど。人死ぬんだけど。またセックスかよ。
  
 それらについて、僕は、少しだけ分かったような気になり、もうちょっと、分からなくなった。
 結局、やっぱり、僕はこの本を読んでも、ブンガクが何者なのかはよく分からないけど、ブンガクは絶対に無くしてはいけない。それだけは断言できるようになった。

 僕達はコトバを上手く使えてる、「ような」、気になっている。でも、ぜんぜんそんなことはない。コトバ偏差値でいうと、50くらい。残念、国立は無理ですね。
 なのに、僕達はブンガクをちょっと手に取り、分からないとか、作者のオナニーだと言って枕にする。放り投げる。分かるわけがない。偏差値が足りないのだから。

 だから、もっと本を読まなくちゃいけない。コトバについて、ブンガクについて勉強しなきゃならない。

 もっと、本を
 

読書

神様 (中公文庫)神様 (中公文庫)
(2001/10)
川上 弘美

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 川上弘美の、紫式部文学賞受賞作。
 くまと散歩に出たり、壺の中から出てくる可愛いコスミスミコさんと住んだり、不思議な連作短編。

 いつも思うことなのだが、川上弘美は「ことば」の使い方、選び方がとても、上手い。ひらがなを効果的に使うことでやわらかみを持たせ、句読点をちょっと、変わったところに配置したりして独特の、川上さんにしか出せない息遣いが伝わってくる。
 それらが如実に現れているのが文学賞の選評で、選評だからどうしても皆、平易な文章になりがちなところに、一人だけ、ああ、川上さんだ、と思わず安心してしまう空間がぽっかりと広がっている。憧れる。

 作中に出てくる生き物は、みんな何かしらの「ずれ」を抱えている。特に象徴的なのは、最初と最後に出てくる、くまの持つ「ずれ」で、人間界の習慣などに合わせることに限界を感じたくまは、「結局馴染みきれなかったのでしょう」と言って里に帰っていく。
 これが日本に馴染めなかった外人だったり、社会に馴染めない青年だったりしたら、話はもっと生臭くなってチープになる。それを巧みにファンタジーのオブラートに包むことで、読者にとっつきやすくさせているのだ。

 どうでもいいが、川上弘美の芥川賞作は「蛇を踏む」だったはずで、なんだか動物ものが好きだなあ、とふと思った。

読書

謎の宇宙船強奪団 (ハヤカワ文庫 SF 59 キャプテン・フューチャー)謎の宇宙船強奪団 (ハヤカワ文庫 SF 59 キャプテン・フューチャー)
(1972/05)
エドモンド・ハミルトン

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 SF好きで、エドモンド・ハミルトンを知らない人間は、モグリと言われても仕方ないだろう。そしてハミルトンといえば、スターウルフシリーズではなく、僕は断固、キャプテン・フューチャーだと主張したいw
 ブックオフで見つけたので、何も考えずに買ってしまったw
 
 日本では昔、NHKがアニメ化もした作品。天才科学者であり、冒険家のカーティス・ニュートンが、アンドロイドのオットーと、ロボットのグラッグ。そして生ける脳であるサイモンを引き連れて、フューチャーメンとして活躍する話。まぁ、スターウォーズとインディ・ジョーンズを足して割った感じ? うーん。

 オットーとグラッグの絶妙な距離は、スターウォーズのC3POと金色の奴を思いおこさせる。カーティスはジョーンズ博士や007号をちらつかせる。全体において、なんだか懐かしさと安心感を与えてくれる本。
 軽すぎず、重すぎず、エンターテイメントとして程よいこの感じは、まるで宇宙に漂っているような心地よさだ。無駄が無く、スピード感あふれる文体は、高速で飛ぶコメット号の中にいるかのような錯覚を覚えてしまう。自然と体が火照る。笑みが浮かぶ。

 SFは子供の読み物として馬鹿にされた時代があった。今もまだ、そうなのかもしれない。だが、忘れてはいけないものが、ここにはある。そんな気がした。

読書

パーク・ライフパーク・ライフ
(2002/08/27)
吉田 修一

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 イケメン作家で有名な吉田修一の芥川賞作。僕は島田雅彦の方がカッコイイと思うのだけれども。

 公園での僕と女性の絶妙な感じを描いた作品。公園という、私有地とも公共の施設とも微妙な中間地点を設定して、人体模型だとかダヴィンチの人体解剖図だとかで人間の「重さ」を語り、対照として、公園で風船を上げるおじいさんを描くことで「軽さ」を感じさせる。非常に手が込んであって上手いとは思うんだけれど、僕にはすこし、その巧みさがわざとらしく思えてしまった感もある。
 技は一見分からないくらいの方が、見て美しい、そんな気がする。

 個人的にはむしろ、収録されている別作品「flowers」の方が好感がもてた。永井さんの徐々に見えてくる嫌な面が秀逸。作品のピークの、シャワーの中で永井さんを蹴りつけるシーンは、句読点を細かく打って、躍動感を出している。こういうの、大好き。
 あとで見てみたら、パークライフよりも先に書かれた作品だった。すごいなあ

読書

宿命の交わる城 (河出文庫)宿命の交わる城 (河出文庫)
(2004/01/07)
イタロ・カルヴィーノ

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 イタリアの名手、カルヴィーノの本。言葉を発せない不思議な城や酒場で、タロットカードを使って人々が身の上話をしていく、という話。
 解説によると、実際にタロットカードを組んだ上で話を作っていったらしい。

 この作品がすごいのは、カードを順に並べてそれらをモチーフとして話を作っていくのは出来なくもないが、タロットカードなため、それが横にも縦にも斜めにも組み合わさり、話が進むにつれて様々な話が出来ていく、というところ。書いてて分かりにくいなw
 とにかく、すごいのです。さすが

 星新一も、話を考えるときには、様々な言葉が書かれたカードを無作為に引いて、その組み合わせで話を作ったという。僕達はよく、ネタが思いつかないとか言うけれど、思いつかないのではない。思いつこうとする努力をしていないだけだ、と気づかされた。

帰省のため、次回更新は来週の土曜日以降になります。

読書

猫物語猫物語
(1992/04)
富士川 義之

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 猫つながりで借りてみた。これは猫にまつわる話のオムニバス。
 猫の小説といえば、とりあえず、ポーの「黒猫」が思い浮かぶと思うが、あえて、そういう有名どころを入れないあたりが面白かった。
 ロシア、フランス、イギリス、イタリアと各国からチョイスしてあり、比較も出来てとても興味深かったのだが、それにしても猫の物語は、全体的にあまり良いイメージが無いものが多いなぁ、と。
 人に化けたり魔女の使い魔だったり。犬の物語がなんとなく忠犬的な美談が多そうなのに比べて、どうしても猫は妖艶で得体の知れないイメージが本物にも小説にも付きまとう。だから、大好きなわけだが。

 知らない作家から、チェーホフやカルヴィーノ、チャペックなど有名どころも収録されてて面白い本。猫好きに薦めるべきかは分からないが、動物文学として面白いですね。

読書

猫とともに去りぬ (光文社古典新訳文庫)猫とともに去りぬ (光文社古典新訳文庫)
(2006/09/07)
ロダーリ

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 ロダーリという作家は、イタリアの児童文学作家として有名らしい。と、解説に書いてあった。

 正直、僕はロダーリという作家をまったく知らなかったのだが、図書館で、この人をくったようなタイトルに惹かれて借りてみた。
 短編集で、全体的に、人が魚や猫に変化したり、といったシュールな話が多かったが、簡潔な文と漢字を極力排除しているため、まさに児童文学の感覚で読めた本だった。

 面白かったか、といわれると、難しい。アイロニカルな方向を狙ったにしては弱い気もするし、低年齢層に向けた不思議な読み物としてはメタファーが鼻につく。
 けれど、この作品には、そういったことを無視してしまって良いような、自由さがある。ブンガクとか、そういうものを無視して素直に読んだらいいんじゃないか、と思ってしまう自由さが。
 その自由さは、奔放で、しかし大胆かつ斬新な、そう、僕は、そこにスカーレット・オハラが見えた気がした。
 面白いとか、表現とか文体とか、そういうものを抜きにして、本と触れ合う不思議な時間を楽しませてくれる。そんな、小説、なのもしれない。

読書

プラナリア (文春文庫)プラナリア (文春文庫)
(2005/09/02)
山本 文緒

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山本文緒の直木賞受賞作。ニートについて描いた本。

 調べてみたら、ニートという言葉は99年にイギリスが規定した言葉らしい。日本に普及したのはもう2・3年かかったと思う。そんな中、99年にこの作品を書いた、という事実は、社会を読んだ作者が見事、としか言いようがない。
 事実、この作品が出て、社会がニート問題について議論しだして、00年ごろから一昨年くらいまではニートの文学の時代だった。
 今は、時代は変わり、雨宮処凛などによるプレカリアート文学の時代だろう。時代は変わり、文学も変わっていく。社会の機微と一手先を予見する力が作家には必要なのだと、そう思う。

 この本を読んで、僕は無意識にいらっ、とさせられた。それは内容への不満とかそういうたぐいのものではなく、作者のたくらみとしての気分の悪さだった。読者に一歩視点を引かすことがなく、ニートで無責任な発言を繰り返す登場人物に、不快に思わせる。そうした「たくらみ」が一人称の文体で書かれている。こうした作品は3人称では成立しない。さらりと、上手い。

読書

文学の記号学―コレージュ・ド・フランス開講講義文学の記号学―コレージュ・ド・フランス開講講義
(1998/10)
ロラン バルト

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言わずとしれたロラン・バルトの本。


まぁ

うん                   あー

 1割くらい   
          わかった


                                          気がする


たぶん

読書

小説の技巧小説の技巧
(1997/06)
デイヴィッド ロッジ

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海外小説を引用して、様々なテクニックを解説している本。短章ごとに「メタフィクション」とか「人称」とか分けてくれているので、見やすかった。
 とりあえず、この本のおかげで、やっと「異化」の効果が分かったわー。

 興味深かったのが「電話」(固定電話)という章があったこと。電話の効果性について書いてあったが、もはや固定電話をつかう人なんて、ほとんど存在しないし、小説においても意図的に書かなければ出てくることもない。時代、ですね。

 昔、テレビが普及したとき、それは人々にとっても衝撃だっただろうが、小説界においても衝撃だった。小説内にテレビという小物を入れ、そこに別の作品を映すことで、簡単に間テクスト性を出すことが出来るのだ。
 だが、それすらも時代は変わった。もはやテレビよりもパソコンの時代。小説はまたしても様式を変えいく。

 文学は決して普遍的なものではない。むしろ、何よりも時代を反映している学問かもしれない。だからこそ、時代を読み、先取りする能力、それが一流の作家には求められるのだろう。

読書

ゲイルズバーグの春を愛す  ハヤカワ文庫 FT 26ゲイルズバーグの春を愛す ハヤカワ文庫 FT 26
(1980/11)
ジャック・フィニイ

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 SF好きな人間としてジャック・フィニイは読んどかないかんなと思っていたのだけれど中々機会がなくてというか行きつけの中央図書館が中央の名を持つくせに意外と蔵書があるようでなくて特にハヤカワSFはエタ非人のごとく差別されているんではないかと思うくらいに少なくてハインラインが2冊しか無いというありさま、で、ということはジャック・フィニイなんてあまり置いていないわけなのである。

 だから

 古本屋で見つけたときには驚いた。初めて見たから。福島正実訳だった。もっと驚いた。だから買った。衝撃。口端のやわらかい笑み。望郷。背中のざわめき。パテのように隙間を埋めてある怖さ。げに美しきノスタルジア
 
 それが全て

 福島正実は「SFマガジン」の創始者であり、初代編集長。彼がいなければ日本においてSFは根付かなかっただろうし星新一や筒井康隆や小松左京や森岡浩之や円城塔もいなかったわけで、そんな偉大な彼がSFについて作家といろいろごたごた喧嘩して引退したのは皮肉だなぁと思いつつも、だからこそ今のSFがあるようにも思える。
 
 全編通じて、この小説はやわらかく、あたたかい。同時にもやりとした怖さがひそんでいる。表題作「ゲイルズバーグの春を愛す」や「クルーエット夫妻の家」が象徴しているように、ノスタルジィに満ち溢れているのにその幸せにはどこか狂気がつきまとう。だから面白い。その狂気は悪意ではなく最終的に愛なのだ。だから、気分を害することなく、読むことが出来る。
 それだけの、仕込み、があるからこそ、最後の作品「愛の手紙」の美しさが余計に際立つ。手元で微妙に変化するムービングボールやカットボールを続けて、最後にインコースにストレートが投げられるとかくも効くものかというほどに、乾杯! としか言いようの無い小説。

 作品ごとの完成度もさることながら、本としての完成度もよく練ってあるとしか言いようがない。こういう本があるから、本が、やめられない。

読書

世相・競馬 (講談社文芸文庫)世相・競馬 (講談社文芸文庫)
(2004/03)
織田 作之助

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 織田作之助の作品集。織田作之助は大阪出身で、大阪を愛した作家だったのですが、若くして亡くなられて本当に世は無常なものだと思います。

 織田作之助の作品を読んでいて面白いな、と思うのは、作品の持つスピード感だろう。「俗臭」だとか「蛍」とかの作品は、人の半生が描かれているのに、それを3,40ページで収めてしまう手腕。確かにそのぶん心情描写などは少ないのだけれども、あらすじを読まされているようには思わなかったのは、やはり抑えるべきところを抑えているからだろう。
 
 収録作の「俗臭」は芥川賞候補にもなったが、作風が「軽い」とか「下品」との理由であえなく落選。だけれども、僕はその軽さは、関西人の持つ洒落っ気のような気がして、とても心地が良かった。そう、軽いというよりも、とても、軽やか、だった。
 村上春樹は群像の新人賞受賞の際に、文体の軽さを評価された。昭和を生きた織田作之助は、日本の文学に早すぎた存在だったのかもしれない。

読書

別離のとき別離のとき
(2007/02)
ロジェ・グルニエ

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 ロジェ・グルニエ、という作家の名前に聞き覚えがあったので、図書館で借りてみた。読んだ後でもはっきりとは思い出せないが、おそらく、堀江敏幸の小説に出てきた作家なのではないかと、思う。調べてもみたけど、そこまで有名な作家でも無さそうだった。

 内容は、短編集。作者が八十代に入って書いた作品集で、その作品群は経験に裏打ちされた軽やかな上手さがある。だが、同時に、それ以上でもない。つまり、手がぶるぶるふるえるほど面白くもないが、十ページ読んで怒りに任せてスタンピングしそうになるほど酷くもない、という感じ。手堅くまとめすぎた、という印象は否めない。

 感想はさておき、この本には興味深い点もある。
 「あずまや」という短編が収録されているのだが、これ、内容をネタバレしてしまうと、女性同士の同性愛の話なのだが、女性同士の愛の物語って、あまり、というかほとんど存在しないように思う。もちろん僕の浅学のせいもあるのだろうが、男色小説は割りとすぐに思い浮かぶのに対して、女性ものはあまりピンとこない。
 気になって調べてみたけれど、松浦理英子や中山可穂らがあがるものの、その程度で、日本文学も海外文学もあまり引っかからない。
 
 小説はもともと海外のキリスト圏から発展してきたもの。同性愛は禁止された世界で、最近やっと緩和されつつある、といっても男性の方が注目されることが多い。また、文壇に女性が参加できるようになったのもつい最近。そうしたところに、女性同士の恋愛小説の少なさはあるのかもしれない。

読書

白球残映 (文春文庫)白球残映 (文春文庫)
(1998/05)
赤瀬川 隼

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 先日書いた、赤瀬川原平のお兄さん。野球小説を書かせたら、日本一と言っても過言ではないくらいの名手。小坂くらいに名手。
 そんな赤瀬川隼の直木賞受賞作。5つの短編からなる本で、野球にまつわる小説は3つ収録されている。
 
 赤瀬川隼が野球小説の名手といわれるゆえんは様々あるが、なにより、文体とスピード感の巧みさだろう。
 「百メートル近いかなたで、カン、と乾いた音が響く。打球が凄い速さで、ブラッグスとぼくの右前方に飛んでくる。」
 カンの前後を読点で区切ることで細かく、瞬間さを出し、次の打球が~から飛んでくるまで少し長めに取ることで、ボールの動く距離感が見事に表されている。これが、「打球が凄い速さで飛んでくる」と短縮すると、臨場感が一気に失われる。ここで短く切っていいのは、三振かピッチャーライナーくらいだろう。
 
 彼の書く野球小説は、プロ野球から高校野球。炭鉱の野球や、昔の社会人野球など、たくさんある。たくさんの人がボールを投げ、打つ。そのどれもが、栄光と挫折、苦い悲しみやささやかな幸せが詰まっている。そこに転がっているのは、決してアメリカナイズされたボールなのではなく、何故か、白黒テレビに映った白球であるような気がするのだ。
 最後の一行「ベースボールは今日もさりげなく始まった」
 こんなに美しい文章はなかなか書けない、と思う。この文を読んで甲子園のサイレンが聞こえてくるのは僕だけではないだろう。
 野球は楽しい。面白い。これからも大勢の人の憧れであってほしい、と思う。そう思わせてくれる名著。ありがとう

 そして、明日。高校野球がさりげなく、始まるのだ。

読書

幽霊たち (新潮文庫)幽霊たち (新潮文庫)
(1995/03)
ポール・オースター柴田 元幸

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 不思議な本、なのかもしれない。登場人物はすべて、ブルーだとかホワイトだとか、色の名前が当てはめられている。主人公のブルーはホワイトからブラックという男を見張るように言われる。ブルーは毎日向かいのマンションからブラックを観察し続ける。ブラックが何を書いたりしているのかは分からない。生きているように見えるだけで、実は死んでいるのかもしれない。確証はどこにも無い。
 それは他の全てにも言える。周りを行きかう人は生きてるか死んでるか、胸を張って言えるのだろうか。分からない。そんな人間の様子をオースターは幽霊に喩える。みな薄白く、画一的な幽霊の姿は、色の名前をつけることで個性を排除した作者のたくらみに見事にマッチしていく。
 
 この小説は可能性の小説だ。見られているのはブルーかもしれない。ブラックやブラウンは死んでいるのかもしれない。記憶喪失のレッドは、実は記憶喪失のふりをしているだけかもしれない。様々なことが考えられる。確かなことは、我思う自分、だけは確か、でありたい、ということだろう。僕達は幽霊ではない。いや、幽霊で、ありたく、ない。

読書

ねじのかいてん (講談社文庫)ねじのかいてん (講談社文庫)
(1992/02)
椎名 誠

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 椎名誠の短編集。椎名誠は「あやしい探検隊」シリーズで有名なエッセイストだが、僕はSF小説家としての椎名誠が大好きです。
 椎名誠がSFを書く、というのはあまり知られてないかもしれないが、「アド・バード」で日本SF大賞を受賞しており、その実力は折り紙つき。事実、僕もアド・バードでヤラレてしまった口で、中学生の頃読んだそこには、なんちゅうか、今まで見たことも無い世界が広がっており、その椎名ワールドに何度も訪問するために、一時期よく読んだものだった。というわけで、ひさしぶりにブックオフで見つけて買ってみた、と。

 椎名誠がこれだけ読者を引き寄せることが出来る理由には、やはり、創造性と擬音語が挙げられるだろう。
 彼の作品には不思議な名前の生き物が多く登場する。オカオグルマ草やフンボルト留水袋だとか。もちろん、SFやライトノベルにも独自の名前を持ったものはたくさんあるけれど、それらは想像力にすぎない。椎名誠の持っている力はボルヘスと同じ創造力だ。僕達はその得体の知れない名前を見ることで、薄暗い、不気味なにおいのする椎名ワールドに引き込まれていく。それだけの力を、持っている。
 
 その創造性を支え、椎名ワールドを構成しているもう一つが擬音語だ。僕がアド・バードで衝撃を受けたのもそこで、何だったか、生き物かロボットが「きちふんきちふん」と音を立てる。「きちふんきちふん」って何だ! それはまったく聞いたことが無い音であり、言葉だったけど、だからこそ、その音を発するモノが、僕の知らない「なにか」なのだ、ということが理解できた。

 擬音語、擬態語、オノマトペを多用すると悪文といわれ、その風習は今の文学界においても根強い。ならば、椎名誠は悪文なのか。椎名誠の擬音語へのこだわりようは、自分の作品世界を構築する重要なパートであり、同時に、そうした文章への偏見に対する抗議のように見えて仕方が無い。

読書

日本の異端文学 (集英社新書)日本の異端文学 (集英社新書)
(2001/12)
川村 湊

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 日本の異端文学について様々な作品を取り上げて考察している本。異端文学といえば、まあ、渋澤龍彦だとか、小栗虫太郎とかが思い浮かぶことと思うが、この本で印象に残ったのはその渋沢の発言の記述で、海外の異端文学はキリスト教的な神に背反するものとして存在したが、一元的な宗教を持たない日本で、どうして異端文学が成立するのか、というツッコミに、なるほど、と唸らされてしまった。
 そこでふと思ったのだけれど、海外と日本と、「異端文学」という形で一くくりにしているけれども、その二つは本質的に違うものではないのだろうか。海外の(キリスト圏の)異端文学はキリスト教という物差し上にあるから、とてもファンタジー要素が強いのに対して、日本の異端文学はなんだか、身体的な作品が多いように思う。江戸川乱歩の「人間椅子」や「芋虫」しかり、山田風太郎の忍法帖シリーズも肉体を改造した忍者の話であるし、三角寛の山禍物語はその典型例といえよう。
 
 日本人は神道や仏教やキリスト教など様々な宗教が混合しているため、結局、そこに通じるものは肉体だということなのだろうか。

 ところで、上の三角寛の山禍。サンカと読み、なんというか、山の中で生きる種族のことなのだが、もののけ姫のサンがここから来ていたとはビックリだった。

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