サイトマップ
読書とギターとブログと |2008年07月
FC2ブログ

Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

読書

少年とオブジェ (ちくま文庫)少年とオブジェ (ちくま文庫)
(1992/08)
赤瀬川 原平

商品詳細を見る


赤瀬川原平の自伝的エッセイ。赤瀬川原平は才人で、画家でありながら小説家。芥川賞作家の尾辻克彦はこの人のペンネームです。ちなみに、お兄さんは直木賞作家で僕も好き赤瀬川隼。やっぱり血筋ってすごいですね。

 この本は、作者が子供の頃感じた様々なものへの思いを短章ごとに語っていく形式の本で、そんなわけだから特筆すべきところも無く、実に読み安い本であった、くらいしか僕に言えることは無いです。ただ、そこに書かれている戦中、戦後の作者の家の貧困の様子を読みながら、こういう貧困の幼児体験を書ける作家というものは、これから減っていくんだろうな、とふと思って、改めて、今の時代のありがたみと、同時に何故か貧しさを僕は感じたのでした。とさ
スポンサーサイト

読書

猛スピードで母は (文春文庫)猛スピードで母は (文春文庫)
(2005/02)
長嶋 有

商品詳細を見る


 昨年、大江健三郎賞を受賞した、長嶋有の芥川賞作。大江健三郎と冠する賞を取るくらいだから、いかにも重く、暗く、読みにくくて、やたらブレイクの詩なんて引用したりするんだろうと、ひどい偏見を持って読んでみたら、なかなかどうして。なんというか、とても読みやすい本だった。
 
 難しい単語や、言い回しも無い。子供の視点で描かれているせいか、「みあげた」など、意図的に漢字を排しているため、さらに読みやすい。近年珍しい軽さで、むしろ連作にしたら直木賞向けではないか、と一見思わせるような作品。
 けれど、この作品が見事なのは、内蔵される間テクスト性だろう。作中には様々な固有名詞が出てくる。「サイドカーに犬」の洋子さんは、山口百恵を口ずさみ、芥川龍之介の「芋粥」を読む。主人公の父の愛人である洋子さんは、主人公を連れて山口百恵の家まで出かけるが、そこには「本物」の妻になれない孤独感が潜んでいる。だが、そうした手に入らない状況こそが一番よい時だ、ということを「芋粥」が巧みに暗示している。
 最後に洋子さんは主人公にRCサクセションのカセットを渡して去っていく。それはまさに自由の象徴。父と主人公を捨てて去って行った洋子さんは、失ったのではなく、雨上がりの夜空の下に広がるような、本当の自由を手に入れたのではないだろうか。

 作中への固有名詞の挿入は、ともすれば知識を披露しているだけとなり、読者に嫌味に見える。しかし、程よく、適度な挿入は、作品に奥行きを与え、同時にリアリティも付与される。長嶋有の見事さとは、簡易な文体で取っ付き易くさせておいて、同時にこうした固有名詞攻撃で攻めることで、読者を飽きさせず、疲れさせないということだろう。

 長嶋さんは、最近、ライトノベルにも手を出していると聞く。技巧派の純文学作家が書くライトノベル。とても、楽しみだ。

読書

つねならぬ話 (新潮文庫)つねならぬ話 (新潮文庫)
(1994/06)
星 新一

商品詳細を見る


 みんなおなじみ星新一の作品。綺麗な古本を見つけたので、なんとなく購入。星新一は小学生の頃からお世話になっていて、今も時々読みたくなるのです。
 星新一のすごいなぁ、と思うのは、とても読みやすいんだけど、実はしっかりと文体が確立されているところ。僕だけかもしれないが、たとえば「それは、いけません。中年の義経なんて、しっくりしない」という文をみただけで、ああ、星さんだ、と思う不思議。「それは」と「いけません」を読点で区切るリズムや、「中年の義経」というちょっと可愛さを伴うウイットの利いた語感など、一見ライトに見える文体のようで、すごく個性の豊かな文体が確立されているのは本当にすごいと思います。
 
 ただ、それとこれは別。ぶっちゃけ、この本はあまり面白いとは思えなかった。一応、創世に関するショートショート的な作品集だけど、いまいちそれぞれが落ちきれてない、というか。そもそもこの本が出たのは1988年だけど、星新一は1983年にショートショート1001編を達成して、その分野は筆を置いてるはずだから、ショートショートなのかも実は怪しい。
 大量の作品を世に出した星さんも、晩年は満足いく作品が出来ず、悩まれていたそうで、そんな話を聞くと、なんだか、手塚治虫の姿が重なる気もする。僕達は簡単に次の物、次の作品を求めねだるけれど、何でもそうだけど創造し、作り続けるって本当に難しいことだと思うし、それが出来る人間が一流の人間なんだろう。

 星新一の可愛そうなのは、これだけ偉大でありながら、文が軽いとかなんとかの理由で実は無冠。死後、彼の伝記的な作品 「星新一 一○○一話をつくった人」で星雲賞を貰ったけれど(すごく面白い本です)、彼は草葉の陰で何を思っただろう。文に装飾を施さないとだめなのか。表現が凝ってないとだめなのか。SFだとだめなのか。人間が描けてないとだめなのか。文学は大好きだけど、こういう作家を評価できない文壇は、時々、嫌いに、なる。
 

読書

知の教科書 ソシュール (講談社選書メチエ)知の教科書 ソシュール (講談社選書メチエ)
(2004/05/11)
加賀野井 秀一

商品詳細を見る


 文学を勉強しようと思うと、言葉の問題について考えなければならず、とすると、やっぱりソシュールくらいはカジっとこうというわけ。
 以前にも、同じことを思ってソシュールの有名な一般言語学講義だっけ?を借りたのだけれど、固めの枕になった後に図書館に帰っていきました。だから、もう同じ轍は踏まないぞ、とばかりに借りてきました、この本。
 要はソシュールを分かりやすく説明した本。それでも新書だからなんかやっぱり枕かなぁ、とも思いもしたけど、新書にしては、これ、割と分かりやすかった。だって最後まで頑張って読みきれたもん。枕にならなかったもん。まあ、理解したのはシニフィアンとシニフィエ程度のもんですが。
 結局、ソシュールが凄いのは、言葉を話し言葉(バロール)と書き言葉(ラング)に分類したのが、言語学分野においてコペルニクス的転回だった、ということなんだろう、と勝手に理解したつもりになって読了。分かりやすいのと面白いのって別物ですね。あ、解釈が違ってたら、ごめんなさい。

読書

わたしの出会った子どもたち (角川文庫)わたしの出会った子どもたち (角川文庫)
(1998/06)
灰谷 健次郎

商品詳細を見る


物心つくようになって、有名な人もたくさん亡くなったけれど、僕にとって一番の衝撃は、いかりや長助や中島らもの死ではなく、灰谷健次郎の死だった。
 
 ライトノベルやSFを読むのは楽しい。純文学を読むと、言葉のことや、色んなことについて考えられる。新書や評論を読むと、賢くなったような錯覚を味わうことが出来る。しかし、人の心を癒すことが出来る本は数少ない。その数少ない作家は、きっとO・ヘンリーであり、また、灰谷健次郎だったのだろうと思う。
 彼はよく、子供たちの作文や詩を引用する。ひらがなばかりで少し読みにくいそれを、僕は一生懸命読む。昔から僕は、文章は割りと上手いと言われてきた。引用されている文は、僕が小学生の頃書いていた文よりも語彙力は少ないし、言葉の使い方も少し間違っていたりする。だが、美しい。当時の僕の文章よりも、いや、今の文章よりも美しい、と思ってしまう。
 そこには修辞法も比ゆも無いかもしれない。しかし、そのままの子供たちの姿がある。汗や息遣いがそのままにある。もしかしたら、究極の私小説を書けるのは、布団おじさん田山じゃなくて、子供達ではないのだろうか。文学って何だろう。
 
 灰谷さんの小説を読むと、人ってまだまだ捨てたものではないな、と思う。癒される。がんばろう、と思う。なんというか、ベホイミ。だからこそ、惜しまれるのは、「天の瞳」が未完のまま亡くなられたことだ。主人公の倫太郎と共に大きくなってきた僕。これから先もずっと、灰谷さんに色々なことを学びたかったと思う。それはきっと、他のどこの本にも見つからない、何かなのだ。

 なお、O・ヘンリーを読むと、ベホイミどころか、僧侶に転職したくなるので、読むときは要注意w

読書

刺青の男 (ハヤカワ文庫 NV 111)刺青の男 (ハヤカワ文庫 NV 111)
(1976/02)
レイ・ブラッドベリ

商品詳細を見る


 昔、筒井、小松、星のSF御三家にハマっていた頃は、その3人を中心に日本のSFをよく読んでいたものだけれど、いつの間にか純文学にシフトしてからは、SFにあまり触れなくなっていました。いや、好きなんですけどね。
 だから、当時から海外のSF作家はそれこそアシモフくらいしか読んだことがなくて、いつか読もう読もうと思っているうちに日は暮れ時はたち、今に至る、と。
 で、今年、日本SF大会が実家の近くで開催され、友人と行くつもりだったのですが予定が入り、どうにもしようがなく、あえなく断念。けれど、いい機会だから、久しぶりにSFに触れてみよう、ということで、古本屋でブラッドベリの「刺青の男」を見つけて購入したわけです。やっと本にたどり着きましたね。長かった。
 
 ブラッドベリといえば、ハインライン、アシモフと並んで海外SFの御三家みたいな凄い人ですが、そんな有名な人の作品をまだ読んだことの無かった自分にまず、驚き。そして読んで見て、驚き。いやー、やっぱり有名なだけあるわー。すっごい、面白い、これ。
 不思議な男の体に彫られたそれぞれの刺青が語るオムニバスといった形で、刺青が語るとこらをもっと生かせれた気もするけれど、そんな些細なところはともかく、一つ一つの、ほとんどショートショートと言っていいくらい短いものもある短編が、それぞれに作者のぶれない哲学がぎゅうと込められていて、非常に満足させられました。
 SFでは使いやすい文明批判が多いのはともかくも、とても叙情的で。最近堅い本が多いからかもしれないけれど、久しぶりに純粋に本を楽しめた気がします。ベタぼめ。

 あと、思ったのは、星新一自身も大好きとは言ってたけど、やっぱり影響を受けてるんでしょう。なんか、ブラッドベリにミルクを入れてくるくるかき混ぜてマイルドにしたら、限りなく星新一のテイストに近づける気がした。
 

読書

ニホン語日記 (文春文庫)ニホン語日記 (文春文庫)
(1996/07)
井上 ひさし

商品詳細を見る


井上ひさし強化月間。
 今回はレトリックとかというよりは、日本語そのものについてのエッセイだった。カタカナが感じの速記文字だったというのは驚かされたなー。カタカナがひらがなと漢字の中間的な感じを受けるのもなんだか納得

読書

夏の花 (集英社文庫)夏の花 (集英社文庫)
(1993/05)
原 民喜

商品詳細を見る


 遠藤周作が「とても美しい短編」と称していた短編。彼によると、原民喜は、とても、とても繊細な人で、あまりにもその心が美しく、そして脆すぎたため最終的に自殺してしまったそうな。
 そんな事前情報があったから、内容も詩的なものかと思っていた。けれど、そこにあったのは、あまりにも現実。原爆の落ちた広島の凄惨な模様を、淡々と書いている。一人称なのに何故かその視点には距離があるように思える。だから余計に恐ろしい。
 題名の「夏の花」は、作中に出てくる主人公の奥さんの命日に飾った花、という意味合いと、おそらく原爆そのものをかけているのだろう。すごいセンス
 
 そういえば、星新一の弟子の、名前は忘れたけれど、その人がショートショートで賞を取った作品もこの名前のかけかたに似ていて、「花火」だったかな。花火と原爆をかけて話を作っていて。見事なのは、作中に戦争のイメージはまったく出てこないんだけど、一言、不思議なおじさんが言う「いいか、イー、イコール、エムシーなんやで」
 この一言の見事なこと。僕たちは最後にはっ、とさせられ、見えない何かに背筋を撫でられるのだ。

 もう戦争世代は終わった。戦争の未体験者に原さんのような戦争文学は書けないだろう。そんな中で出てくる新しい戦争文学は、この「花火」だったり、三崎亜紀の「となり町戦争」といった、見えない戦争を描いた作品なのかもしれない。

読書

星の王子さま (新潮文庫)星の王子さま (新潮文庫)
(2006/03)
サン=テグジュペリ

商品詳細を見る


 誰もがそうだろうけれど、僕も同じように小学生くらいの時にこの本を読んだ。
 ふと、図書館で見つけて、今なら、あの頃とは違う読み方ができるんではないかと思って読み直してみた。普通に読んでもひっくり返して読んでも、子供の純粋な、素直な心の美しさを描いた話だった。とても有名で、試験に出たり教科書に載るくらいに有名だけど、もしかしたらこれは文学じゃないかもしれない。だったとしたらどうなのだろう。
 いつか、僕にもし子供が生まれたら、僕はこの本を自信を持って渡すと思う

読書

自家製 文章読本自家製 文章読本
(1987/04)
井上 ひさし

商品詳細を見る


 ひょっこりひょうたん島で有名な井上ひさしの文章読本。エッセイというには軽く、レトリック本というには重い、そんな本。少なくとも、中学時代に現代国語で活用形とかが嫌いだった人は、マクラ化すること間違いなし。けれど、へたな小説家養成本を読むより、よっぽど勉強になります。
 
 小説の神様、志賀先生とかは、作者が分からないくらいプレーンな文体こそがすばらしい、と言ってたらしいけれど、現代小説においては、ちょくちょく文体文体と言われます。なんか、この流れって、やはり村上春樹だとか高橋源一郎だとか村上龍だとか、あの辺の世代から各々の文体を強調することが是非とされだしたような気がして、個を薄めるほど良いとされる昔の形はまるで日本酒で、文体がある程度あったほうが良い現代の小説は、まるでビールとかウイスキーみたいだ、とふと思いました。
 村上春樹のポップさはまさにビールな感じ。でもスーパードライじゃない、せめてバドワイザーかなw
 一見軽そうで、意外と飲み応えしっかり。こういう文体の軽さとテーマの重さの対比はまさにテクニック!と見せ付けてる感はするけれど、だからこそ村上春樹ってスゴイなぁ、と。だって書けないもん
 
 あと、意外と句読点ってまだ60年くらいの歴史しかないらしく、ちょっとびっくり
  

読書

嘔吐嘔吐
(1994/11)
J‐P・サルトル白井 浩司

商品詳細を見る


 やっぱり文学部だし。これくらい読んどこうと思って。
 読み進めていて、なんだかカフカやカミュに似てるなぁと思っていたら、解説にサルトルはカフカに興味を持っていたと書いてあって納得。
 「誰も僕のことを分かってくれない」とすねるなら、サルトルを読んでね、なんて言うとちょっとカッコイイ、ですね。こんなん読んでるから、一昔前の学生は病んでるんですw
 それにしても、サルトルだとか、カミュの小説を読んでいると、なんだか地中海の海辺の街のイメージが浮かんできます。ゴダールみたいな感じ? あんまり上手くは言えないけれど。
 それは、文章の描写の他に、彼らが欧州の人であるという偏見がもちろん僕にはあるわけで。もし、何も事前知識を持たず、作者も知らず、まっさらな状態でこの小説を読んだら、僕はどんな印象を受けて、どのように読むのだろう、とふと思いました。

読書

 高橋源一郎の「さようなら、ギャングたち」を購入。文庫なのに何故か千円を越える謎な本。
 短章で区切ったり、一行が短かったり、まるで詩のような形を取るけれど、これはまぎれもない小説で、同時にやっぱり詩だとも思った。村上春樹といい、この世代の作家が文体的なものに拘りたがるのは、やっぱり学生運動の影響なんだろうか。
 高橋源一郎の文は分かりやすい。ブンガクしてないのに、ライトなのに奥行きがある。最後の一行
「少年たちはもっとナイスなもののある方へのろのろと歩き始めた」
 この「ナイス」はとても簡単なんだけど、僕には、書けない。だから、すごい

Extra

プロフィール

scapa

Author:scapa
FC2ブログへようこそ!

最近の記事

フリーエリア

フリーエリア

フリーエリア

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。